『斜陽』(しゃよう)は、太宰治の小説。
『新潮』に1947年7月から10月にかけて連載。
同年に新潮社から刊行され、文壇から高い評価を得て、ヒット作となった。
没落していく人々を描いた太宰治の代表作で、没落していく上流階級の人々を指す「斜陽族」という意味の言葉を生みだした。
斜陽という言葉にも国語辞典で「没落」という意味が加えられた。
太宰治の生家である記念館は、この小説の名をとって「斜陽館」と名付けられた。
この小説は、太宰が当時交際していた太田静子の日記がほとんどそのまま書き写されたものであることが、娘・太田治子によって明かされた。
戦争が終わった昭和20年。
没落貴族となったうえ、当主であった父を失ったかず子とその母は、生活が苦しくなったため、家を売って伊豆で暮らすことにする。
『太宰治記念館 「斜陽館」』より : 太宰治記念館 「斜陽館」(だざいおさむきねんかん「しゃようかん」)は青森県五所川原市金木町にある小説家太宰治の生家。
現在は太宰の文学記念館になっている。
建物は1907年に太宰の父で衆議院議員であった津島源右衛門によって立てられたもの。
当時の住所は青森県北津軽郡金木町 金木村。
太宰が中学進学に伴い1923年に青森市へ転居するまでこの家でくらした。
東京へ出た後、日本共産党 共産党の非合法活動に協力したり、何度か心中を繰り返したため郷里から勘当された。
勘気を許されてこの家に戻る事が許されたのは1942年に太宰の母タネが亡くなった後である
その後1945年太宰は戦況悪化に伴い妻子を連れて疎開翌年までこの地にとどまり、文筆活動を続ける。
小説『思い出』や『津軽』等には太宰がこの家に対して抱いてイメージが記されている。